まだ見ぬ土地と地と人②
ー 前半より -
3日目
朝は、すっきりと起きることができた。
布団から半分出た足が、畳に擦れて少しだけ痛い。窓を開けると、鶯の鳴き声が聞こえる。
のんびりとした温泉街の、少しだけ粘度を感じる良い朝。
着替えて、準備を進める。
今日は盛岡の繋温泉を出て太平洋の平井賀に出たあと、そのまま南下して最終的には一関まで行く予定だった。
長丁場になる予定なので、気持ち早めに宿を出る。
見送ってくださった女将さんと目的地の話をしながら、玄関で靴を履く。
龍泉洞を勧めていただいて、行ってみようと決めた。
またお世話になるかもしれない。なんとなく、そう思う。
目の前の温泉神社に登って安全を祈願してから車を出した。
長い距離の運転になる。急ぎすぎないようにしたかった。
盛岡市内をパスして、国道455号線を東に向かう。
ややきつめの登りを、何台か先に譲りながら登る。北海道じゃないけれど、なんとなく北にいるという感じがした。たまに、そういう気がある道路がある。
路肩に立ってる積雪対策の幅員ポールと背の低い笹に、少し冷たい空気があればそんな気がしてくるもので、遠くまで来てるなという実感がわく。
しばらく登ると、岩洞湖に着いた。まだ朝すぐ。飛ばしすぎても良くないので、少し休憩する。
連休中なのもあり、ツーリングをしている人が多くいた。
空が近くていい雰囲気。旅をしていると、みんな穏やかになるのかもしれない。
名目入で国道340号線にぶつかってから少し下ると、龍泉洞の看板が見えてきた。岩泉の市街だ。
予定時間よりも少し早い。少し遠かったけれど、駐車場も並ばずにはいることができた。昼になって混んでしまう前に、先に昼食をとった。
「龍泉洞ラーメン」とのことだった。こういったご当地の物は、食べないともったいないような気がしてついついもらってしまう。悪いことじゃないんだろうけど。
おいしかった。
食休みを挟んで、龍泉洞に入った。
震災で大変だったと聞いたけれど、きれいな青だった。観光客はそれなりにいたけれど、多すぎて大変というほどではなかった。女将さんの言う通り。現地の方の情報はとてもありがたい。
洞窟に入るのは久しぶりで、楽しかった。久しぶりに見る空がとても青い。
少し休んで、出発した。
ひらいが水門までは、ここからすぐだ。
また山を登って、田野畑村に入る。
頂上から少し下ると、太平洋が見えた。
やっとだ。 ようやく来れた。
引き寄せられるように感じる場所が、ときどき現れる。
震災があったとき、テレビで初めてひらいが水門を見た。
誰か知り合いが住んでいるわけでもない。目立った観光地とも違うけれど、なにかこう、行かなければという使命感のようなものを感じた。勝手にそう思い込んでいるだけかもしれないけれど、そこに行く。動機としては、ある意味で一番強くて大切な種類のものなのかもしれない。
過去の津波浸水域の表示を過ぎ、坂を下る。
浸水した範囲を実際に目にすると、やはり印象の強さが全く違う。緑が生い茂っていて一見わからないけれど、なにかがあったって知っているだけで別のものに感じてしまう。
カーブを下って平井賀川沿いに出ると、真新しいコンクリートに包まれたひらいが水門が見えた。
まだ工事中のようだったけれど、たしかにこの場所だ。
人影はなく、日差しが強い。
近づくと、堤の高さで海は見えなくなった。
不思議な時間だった。ただぼうっとして時間が過ぎたけれど、来てよかったと思った。また来たいとも。
ここからはずっと南に向かって、陸前高田まで太平洋をなぞる。
三陸道を使いながら、海を左にひたすら南へ。
中継で目にした橋や、土と雑草だらけの区画が目立つ。新しいコンクリートは海を隠すようにそびえて、その向こうの海はいやに青く輝いてみえた。
新しく建て変わった家や工場、倉庫を何度も見ながら南へ向かう。
陸前高田には、夕方前に着いた。
遠くに一本松が見える。クレーンや重機の合間に立っている松は、たしかに不思議な光景だった。
周りと比べると、生命感がひときわ目立つ。
惹かれる人が多いのが、なんとなくわかる気がした。
日没前に室根山に向かいたかったので、早めに出発した。
陸前高田から西へ伸びる国道343号線をひたすら走り、途中左折してさらに坂を登る。
軽には申し訳ないような坂だけど、すこしだけ頑張ってもらう。いつもごめん。
アクセルを踏み込みっぱなしの時間がしばらく続いたけれど、なんとか頂上に着いた。
ここは教育的な意味合いが強い天文台のようで、学生たちにもよくイベントを催しているらしい。冬場は閉鎖してしまうようだけど。
天文台のすぐ脇に、山頂がある。
フキノトウを横目に、山頂へ向かった。
頂上は、360度パノラマが広がっている。
太平洋と陸前高田の街並みや、はるか遠く広がる山々も少しかすんで見える。
こんなにどこでも見えるのは生まれて初めてかもしれない。
高いところは、本当に気持ちが昂る。
人間がそういう風にできてるんじゃないか。
日没までいたかったけれど、下りが怖いのとチェックインの時間があるのとで下山した。
少し、窮屈なスケジュールになったかなとも思う。でも、十分楽しめた。
一関まではすぐで、大きな問題もなく到着できた。
だんだん旅の終わりが見えてくると、急に疲労感がわいてくる。
明日のことを考えるようになってしまうし、それを考えている自分がまた悲しい。
夕食を摂って、早めに休んだ。
今回の旅の写真を見ながら、ベットに横になる。
こんなことをしているから、悲しくなるのかもしれない。
自分で制して、目を閉じた。
距離も長かったけれど、比例していろいろなことを思った日だった。
少し眠って、頭に仕舞う。
4日目
最後の日。
疲れは、意外と残っていなかった。
今日が最終日だと思った瞬間に、すこし出そうになったため息をのみこむ。
朝食をとって、出発の準備をした。
天気が良いのが、とても救いになる。こんなに天気に恵まれる旅行もなかなかない。
最後までもちそうだ。
今日は平泉に行って、その後家路につく。
平泉も初めて訪れる土地で、楽しみにしていた場所だ。
昼過ぎまでは、ゆっくりとさせてもらうつもりだった。
宿から中尊寺は車ですぐで、駐車場もスムーズに入れた。
金色堂が有名だけれど、境内は全体的に緑が多くて落ち着いた雰囲気だった。
参道は新緑がまぶしくて、優しい。
とりあえずといったら怒られるかもしれないけれど、金色堂に向かった。
中は写真が撮れないので、目に焼き付けてきた。まぶしい。欲しいかって言われると、 何とも言えないけれど。
金色堂の後は、のんびり境内を散策した。
どの場所も静かで落ち着いた雰囲気。蜩がいそう。
少しお茶してお昼を食べたら、いよいよ家路。
時刻は昼過ぎ。これより関東へ。
一関から東北自動車道に乗って、仙台方面に向かう。
帰りは常磐道を使おうと考えていたので、富谷JCTで仙台北部道路へ。
少し走ったら、常磐道に入った。
茨城以北の常磐道は、初めて走る。
原発の事故もあって、なかなか走れなかったというのもあった。
南相馬鹿島SAで休憩して、さらに南へ行ったところで、線量計の表示を見かけた。
実感はわかなかったけど、事故のあった原発の付近で少しだけ数値が上がったときは、少し神経を使った。
見えないものは、やっぱり不安になる。悪さするものは、特に。
終わってないんだなって改めて思う。
その後も順調に南下して、茨城県に入った。
渋滞にはまることもなく、少しあっけなかったほど。
気が付いたらいつもの知っている常磐道にいて、知っているICで降りて、ナビを切って慣れた下道を走っている。
日常に戻るって、こういうことかと妙に納得した。
半日前のことが、かなり昔のことのように感じる。距離のせいかもしれない。
色々なところを見てきたけれど、どこも焼き付くような光景と印象だった。
天気のせいもあるだろうけど、それ以上に東北は自分にとってなにか縁のある土地な気がする。
東北っていう土地も、その地と人も、そのすべてになぜか引き込まれる。
いつか住むかもしれないしそうじゃないかもしれないけれど、また絡まりあうと思う。
だから最終日の朝にも旅行が終わる寂しさはあったけど、関東に戻ることの寂しさはあまり感じなかった。
絶対また来るって、そう思ってる。危ない考え方かもしれない。
とにかく、今回は良い時間を過ごせた。
次行くときも、きっといい時間を過ごせる。
そのときは、こっちからなにかできるといいな。
エンジンを切った。
静かななかで、目をつぶる。
息を吐いて、車を降りた。
今なら、ため息をついてもいいと思った。
ため息が終わって目を開けて、また日常に潜りこんだ。